第二次世界大戦のターニング・ポイントとなったノルマンディ上陸作戦の中、たったひとりの兵士を救うために展開された作戦があった……。実話にインスパイアされたR・ロダットのオリジナル脚本をスピルバーグが映画化した戦争秘話で、その圧倒的な戦闘描写が話題を呼んだ。1944年6月。連合軍によるフランス・ノルマンディ上陸作戦は成功に終わったものの、激戦に次ぐ激戦は多くの死傷者を出していた。そんな中、オマハビーチでの熾烈な攻防を生き延びたジョン・ミラー大尉に新たな命令が下された。ひとりの落下傘兵を戦場から救出せよ。その兵士、ジェームズ・ライアン二等兵には3人の兄がいるが、この一週間の間に全員が死亡。兄弟全てを戦死させる訳には行かないという軍上層部はひとり残されたライアンをなんとしてでも故国へ帰還させようと考えたのだ。ミラーは中隊から7人の兵士を選び出し、生死も定かでないライアン二等兵を探すために戦場へと出発するのであった……。スピルバーグとしては「太陽の帝国」「シンドラーのリスト」に続く第二次大戦モノだが、それまでの作品が戦争を背景としたドラマであったのに比べ、今回は正面から戦争を描く事がテーマとなっている。しかもそれは国対国というマクロな図式のものではなく、人間対人間というミクロなものだ。戦争という名の巨大なイベントの中で一兵士が遭遇する現実とはどんなものだったのか。そこにこの作品の真意がある。映画が始まってすぐに観客はオマハビーチへと誘われ、そこで繰り広げられる阿鼻叫喚の地獄絵図を目撃する。上陸艇のゲートが開かれた途端、機銃の掃射によって崩れる体。海に没した者には海中までにも銃弾が襲いかかる。内蔵をぶちまけて母親の名を呼ぶ若者、吹き飛んだ自分の片腕を求めて幽鬼のごとくさまよう兵士。雨霰と降り注ぐ銃弾の中、生死を分けるものがほんのわずかの運命でしかない事が判る。ここには、例えば同じくノルマンディ上陸に材を取った「史上最大の作戦」や、その他往年の戦争映画によくあるスポーツ感覚の戦闘は存在しない。戦死とは銃で撃たれたら倒れる事、という映画特有の約束事を完全否定し、戦場で死ぬ事がどれほど唐突で日常的かという事なのか、人間の肉体がいかに簡単に破壊されるものなのか、スピルバーグのリアルな演出はその再現に腐心する。そして従軍カメラマンの視点以外の何物でもないJ・カミンスキーのハンディカメラによる撮影と、銃声に包まれる音響効果によっていや増される臨場感……。この戦闘シーンだけでもこの作品の存在意義はあるのだが、ライアン二等兵を探し求めるいうとメインストーリーももちろん用意周到だ。前線に送り込んでおきながら、兄弟の死を知るや一方的に帰還を命じる軍部。そのために多くの人命が危険にさらされるという事は無視されるという矛盾と皮肉。“戦場で死ぬ事”を執拗に活写した結果、そこから浮き彫りにされる“戦場で死なない事”の重みはプロローグとエピローグの描写を得て観る者の心に迫る。
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